2017年




ーーー8/1−−− お茶を飲むようになった


 私は自ら進んで飲料を口にすることが無い。もちろん喉が渇けば水分を取るが、口の楽しみとして何かを飲むということはしない。コーヒーも飲まないし、お茶も頂かない。あえて言うなら、自発的に飲むのは酒ぐらいのものであるが、もちろん昼間から酒を飲むことは無い。

 家内は、一日に何杯もコーヒーを飲む。渇きを癒すためと言うよりは、楽しみのため、美味しいから飲むのだと言う。世の中にコーヒー好きは多いが、ほとんどの人はそれと同じだろう。喉が渇いたからコーヒーを飲むということではないと思う。

 話は脇にそれるが、この国においてコーヒーが、何故かように人気があるのか、不思議に思う。別にコーヒーのことを悪く言うつもりは無い。単純な疑問である。しかも昨今は、砂糖を入れずに、つまりブラックで飲む人が多い。缶コーヒーも、無糖などというのが出回っているから、注意をしなければならない。私は、甘くないコーヒーは飲む気がしない。コーヒーを出された場合は、必ず砂糖を所望する。ところが最近は、「砂糖要りますか?」と聞いてくれる人も少なくなったので、困る。

 以前ある場でコーヒーが出された時、私が「砂糖を下さい」と言うと、その場を取り仕切っていた女性から「あら砂糖なんか入れるの?お子様の味覚ね」とからかわれた。同じ場にいた著名人が「ボクも砂糖無しでは飲めないんだよ」と言うと、「あら、先生に砂糖をお出しして」ときたものだから、ずいぶん対応に差が有るものだと苦笑いをした。

 さて話を本題に戻す。これまで進んで飲料を口にすることが無かった私だが、この春からお茶を飲むようになった。高級なものではなく、ごく普通のお茶である。次第に飲む回数が増えて、近頃では一日に何杯も飲む。一回に飲む量も多くなったので、急須を買い換えた。これまで使っていた急須は小さいもので、しかもあまり出来が良くないシロモノで、湯を多目に入れて傾けると、蓋の周囲から溢れたりした。二回りほど大きな新しい急須は、内側に金属製の網の茶漉しが付いていることもあって、とても具合が良い。

 嗜好品とはこういうものなのだと思う。どういう動機で飲み始めたかは、自分のことながら良く覚えていないが、当初はただ飲むだけだった。最近では、飲んで美味しいと感じるようになった。お茶を入れて飲むのが楽しみにもなった。かくして、日常生活の中に、お茶を飲む行為が定着した。しかも、なんだか健康に良いようにも感じるようになってきた。歳を取ると体の水分が不足気味になるらしいから、喉が渇かなくてもお茶を飲むという習慣は、たしかに健康にも良いかも知れない。飲みすぎの弊害は、コーヒーで指摘されるようなことは無いようである。

 登山の際に、特に同行者を案内した場合、山頂で湯を沸かして、インスタントコーヒーを入れて飲むことがよくあった。もちろん私は砂糖を多目に入れて、甘いのを飲む。それは、私のさほど多くない美味しいコーヒーの体験の中で、上位に入るシチュエーションであった。これからはそれを、お茶でもやってみようと思う。山頂で、あるいはテント場で、ゆっくりとできる時間にコンロに火を付け、湯を沸かして渋茶を飲む。それもなかなか良さそうだ。

 それにしても、我ながらずいぶん変わったものである。




ーーー8/7−−− メダカ増殖


 
昨年秋から、メダカを飼うようになった。長女が出産のために、孫を連れて長期の帰省をした。孫の機嫌を取るための作戦をいろいろ考えたのだが、そのうちの一つがメダカであった。

 ホームセンターで10匹ほど購入した。ところがどうも体が弱くて、一日に一匹ずつという感じで死んで行った。減るとまた買いに行くということを繰り返した。そのように犠牲を払ってのご機嫌取り作戦だったが、いざ迎えた孫娘は、メダカにそれほどの関心を示さなかった。

 その後全滅したので、また買いに行ったら、もう売っていなかった。そこで、別のホームセンターへでかけて購入した。そこは、これまでの店と違って、ペットショップのコーナーがある。特にその点に期待をしたわけでは無かったが、買って帰ったメダカは丈夫だった。年を越して春になり、そして夏を迎えた現在も、買った10匹はそのまま残っている。仕入先が違うのだろうが、店によってずいぶん品質が違うものである。ちなみに、生きの悪いメダカを売っていたホームセンターは、この春閉店してしまった。

 冬は屋外では水が凍ってしまうので、水盤を部屋の中に入れた。身近になったので、観察する機会も増える。見ているうちに、メダカもなかなか可愛いものだと思うようになった。長生きするので、愛着が沸いたということもあるだろう。

 6月になって、家内が「ホテイソウの根に、卵のようなものが付いているわよ」と言った。見たら、たしかに球形のツブツブがたくさん付いていた。それらは、想像していたより大きかった。メダカの卵が、このように肉眼ではっきりと見える大きさだとは、知らなかった。

 卵は成魚から隔離しなければならないと、以前何かで読んだ。孵った稚魚を、成魚が食べてしまうからである。そこで卵が付いたホテイソウを、バケツに移した。

 数日経ったある日のこと、家内が「孵ったわよ」と興奮気味に叫んだ。バケツを覗くと、目を凝らさないと見えない大きさだが、水中を動き回るものがあった。それは間違いなく、メダカの稚魚であった。

 バケツでは見にくいので、ガラス張りの水槽に移した。見えるか見えないかくらいの大きさだった稚魚は、日ごとに大きくなった。それと同時に、数が増えて行った。最初はそれを見て面白がっていたが、そのうちに不安が沸いてきた。このまま大きくなり続け、数が増え続けたら、どんなことになるのだろうか。そこで、数件の、小さいお子さんがいるお宅に話をして、分けてあげた。しかし、数十匹程度減らしても、焼け石に水である。なにしろ数百匹はいるのだから。

 どうしたものかと思案するするうちに、メダカたちはどんどん大きくなる。




ーーー8/15−ーー 合奏の練習で感じたこと


 
最近になって、地元の音楽グループから、一緒に演奏しようと誘われた。私の役はケーナである。私は二つ返事で了解した。誘って下さった事は、たいへん嬉しかった。

 楽器をやっていても、出番のチャンスが無いというのは、何とも張り合いが無いものである。とりあえずの目標が無ければ、日々の練習にも身が入らない。練習は本番のためにするものだが、本番も練習のために必要なのである。

 このグループ、さしあたり8月末に、地元のあるお宅で行われる音楽会に参加をする予定である。そのために、二週間に一度のペースで、集まって練習をすることになった。

 その第一回目。いささかの緊張感を抱きながら、バンマスのお宅へ出掛けた。ジャンルはフォルクローレ、楽器の構成はケーナ3本にギター、そして太鼓。いささか変わった構成だが、文句を言える立場ではない。

 最初に音を出してピッチを確認し、ギターのチューニングを合わせて貰った。そして曲の演奏に移ったわけだが、どうもハーモニーが合わない。メンバーの一人が「なんだか音が合ってないようね」と言った。それに対して私は「初めはこんなものでしょう。やっていくうちにだんだん合ってくるんじゃないですか」と、テキトーな返事をした。

 ケーナは、音程が不安定な楽器である。吹き方によって音の高さが微妙に変わる。だから、低音から高温までに渡り、音の高さを正しく維持するというのは、それなりの技量を要する。迂闊に吹くと、音が外れてしまうのだ。それは、自分ひとりだけで練習をしても、なかなか分からない。しかし、音程が確かな楽器と合奏すると、そしてそれを録音して聞いてみると、初めて気が付いて、ギョッとしたりする。

 音程が狂いやすい楽器どうしが集まって演奏をすると、誰の音が狂っているのか、演奏をしている当人には分かりづらい。曲の流れの中で、この音は合っているけれど、この音は合っていないなどという細かいことは、なかなか把握できず、したがって指摘もできないのである。

 松本市で、年に二回、アマチュアオーケストラのコンサートがある。モーツァルトの交響曲全曲を、何年かかけて演奏するという、壮大なプロジェクトに取り組んでいる。なかなかレベルの高いオーケストラで、聴き応えがある。音楽の素晴らしさと楽しさを、十分に味あわせてくれる演奏である。私はその賛助会員にもなっており、毎回楽しみに出かけている。

 その事務局をしている方と、個人的に雑談をしているとき、こんな発言があった、「毎回初リハーサルのときは、現代音楽のようだと指揮者が言います」。ああそうなのかと思った。これだけ素晴らしい演奏をするオーケストラでも、新しい曲の練習に取り掛かる際には、最初は不協和音だらけなのだと。

 何事に関しても、客観的に観るということは難しい。正しい方向に導いてくれる第三者が必要なのである。楽器演奏にしてもしかり。個人の演奏では指導者が必要だし、集団の合奏では指揮者が必要なのである。

 さて、上に述べた私のテキトーな発言。無自覚にやっていればそうも行かないが、お互いが向上の意欲を持って取り組み、第三者的な感覚を意識して励めば、だんだん合ってくるようになると思いたい。




ーーー8/22−−− 親不知の海岸で石拾い


 
次女がお盆休みで帰省した。二年前の常念岳登山と同じように、日帰りで北アルプスに登ろうと考えていたが、天気が悪いので諦めた。その代わりに、御殿場の富士霊園へ墓参りに行こうと計画していた最終日、明け方までザーザー降りの雨だった。濡れた高速道は走りたくないので、これも取り止めた。それでも、朝食の頃には雨が上がったので、近場でよいからどこかへ行こうということになった。

 行き先として、大町山岳博物館と白馬のジャンプ台を提案した。他にこれと言った候補地が思い付かなかったのである。家内も次女も、当初は関心を示さなかったが、ライチョウがいるらしいと言ったら、山岳博物館は採用となった。ジャンプ台はさらに関心が低く、気が向いたらついでに、ということになった。競技をやっていれば、見ていて飽きないほど面白いが、調べてみたらそれも無いようだった。ところで、後日調べたら、山岳博物館のライチョウは公開していないことが分かった。出だしからいい加減な計画だったのである。

 家内と次女と私の三人が車に乗り込んだ。運転は、全行程娘が担当する。スポーツ系の娘は、車の運転が好きである。そして手際も良いので、安心して任せられる。娘の運転のために、休み前に保険会社に電話を入れて、一時的に運転者の範囲を変更した。

 出発して5分もしないうちに、空に明るいところが出てきて、天気が回復する兆しが見えた。そこで、「日本海へ行こうか」と提案したら、一同の賛同を得た。行き先は急遽変更されたのである。山国に住んでいると、時折むしょうに海が見たくなる。ならば、見に行けば良いではないかと思われるかも知れないが、日々の生活の中ではなかなかそれが実行できない。海に向かうのは、今年初めての事であった。

 国道148号線を姫川沿いに下り、糸魚川市内に入り、さらに進むと日本海の海岸に出る。海は波も無く穏やかだった。それにしても、この大きさはいったい何だろうと、いつも海を見るたびに思う。この巨大な水の塊が、地球上の陸地を繋げているというのは、事実なのだろうが、スケールが大き過ぎて、ピンと来ない。

 これまで何度か、糸魚川経由で日本海の浜辺に遊んだ事はあったが、いずれも東に進んで能生の海岸あたりへ行ったものだった。今回は初めて、西の親不知方面へ向かった。糸魚川市街からわずかな時間で親不知の海水浴場に到着した。海岸べりに観光施設があり、その駐車場に車を停めて浜に下りた。海面は穏やかで、海水浴に適した状況だったが、もうこの時期である。波打ち際には、浮き輪に入って浮かんでいる親子づれが数名いただけだった。

 ここの浜は、砂浜と言うより砂利浜である。小石が浜一面を覆っている。娘が、メダカの水槽に入れるのだと言って、石を拾い出した。家内と私もそれにつられて拾ったが、これがなかなか楽しくて、しばし夢中になって拾い続けた。石の色や模様の種類が多くて、次から次へと目移りするほどである。また、少し大きな石は、丸く扁平な円盤型が多く、とても愛らしい。

 大人が三人で地面を凝視し、立ったりしゃがんだりを繰り返しながら石を拾う様は、傍から見てこっけいだったと思うが、実はそれは私たちだけではなかった。浜に座り込んで穴を掘り、石を取り出しては品定めをしているグループがそこかしこに有った。浜の売店で、「石掘り道具セット」と称してポリバケツと熊手を貸し出していたほどである。どうやら狙いはヒスイのようであった。

 この辺りは、糸魚川静岡構造線の北端であり、地質学的にたいへん興味深い土地らしい。2009年にはユネスコの世界ジオパークに日本で初めて選ばれたとのこと。観光施設のわきに資料館があり、覗いて見たら世界最大のヒスイの原石(重さ約100トン)というものが鎮座していた。ヒスイの産地としても、全国的に知られているとのこと。

 夏の終わりの海岸で、小石拾いにふけるというのは、当初予定していた山岳博物館とは大いに違った、予想外の出来事であったが、これもまた楽しい思い出となった。




ーーー8/29−−− プロのミュージシャンとは


 音楽グループに誘われて、演奏をすることになった。そのグループのギターの男性とパーカッションの女性は夫婦で、普段はフォークソングのデュオとして、1960〜70年代の曲を中心に演奏活動をしているとのこと。

 コンサートの打ち合わせのために、会場となるお宅へ出向いて打ち合わせをした。事務的な話が終わり、雑談をしている中で、オーナー氏がフォークソング・デュオの評判を口にした。とても上手だと聞いているが、デビューするつもりはないのかと。

 すると歌姫の評判が高い奥さんがこう言った「デビューをするには、オリジナル曲を持っていなければダメなんです。私も以前は曲を作ったこともあったんですが、主人が気に入らなかったようで、立ち消えになってしまいました」

 なるほどそういうことなのか、と思った。既成の楽曲を演奏しているだけでは、デビューできないということだ。オリジナル曲を作り、それを演奏することで有料のコンサートに客を呼び込み、あるいはCDを販売できるようでないと、プロデュースの話は来ないのである。

 有名ではないが、そこそこ演奏活動をしているプロのポップス歌手を何人か知っている。そういう人たちが出演する、商業施設での出前ライブを聴きに行ったこともある。CDも買った。思い返してみれば、たしかに全てオリジナルの曲だった。おそらくレパートリーは、100曲くらいはあるのだろう。歌唱力うんうんは別にして、オリジナルなものを持っていなければ、やはりこの業界ではやっていけないということか。

 あるライブハウスのオーナーの話を思い出した。そのライブハウスは、アマからプロまで、様々なミュージシャンが出演する。出演者によって、ライブが有料だったり、無料だったりする。アマチュアの場合は、逆に出演のための料金を頂くこともあるらしい。オーナー自身も、ギターの弾き語りで歌ったりする。そのオーナーが言っていた。

 「ボクなんかは、60年代のアングラ系の曲を好んで歌うんだけれど、そういう曲はいわば出来上がっているものだから、気負わずに、落ち着いて歌うことが出来る。それと違って、プロのミュージシャンを目指す若い連中は、自分のオリジナル曲を持って来る。大声で叫び、自分の世界に入り込んだようにして歌う。その情熱は大したものだが、その歌が観客の心に響くかどうかとなれば、それは難しいところだと思う」

 そこには、創作の世界に共通するテーマが見えたような気がした。

 






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